ブログをはじめた理由
どうしてこのブログをあたらしくはじめようと思ったのか。
目次
自分の庭のような、わたし自身の手でコントロールができて、わたしのすきな表現ができる、そんな場所がほしかったのです。
最近のインターネット
最近のインターネットは個性がなくなってしまったように思います。 Mediumやnote、Qiita、Zennのようなサービスは、記事の体裁を統一してくれますが、同時に個人の個性も消してしまっています。それだけならまだ良かったのですが、近年はマネタイズ面のサポートが充実したのもあり、ペイウォールの裏に置かれた記事が増えたことによるプラットフォーム内部における分断が増えたこと。ビューを稼ぐためだけにAIで書かれた、筆者自身の考えがあまり見えない記事が増えたことで、「このプラットフォームにある他の記事も筆者による主張がない、ただ綺麗なだけの記事なのか」と疑ってしまうような状況になってしまったこと。そういったことがあり、個人の表現の場としてはあまり魅力的ではなくなってしまいました。
また、X(旧ツイッター)のようにサービスに依存してしまうと、サービスの方針や仕様変更に振り回されてしまいます。UIがサービスの都合である日突然変わってしまったり、広告が増えてしまったり。また、アルゴリズムによって、最適化された「心地いい」情報しか表示されなくなってしまい、能動的な体験性を奪われてしまっているように思います。
そして、Instagramなどのプラットフォームでは「いいね戦争」のような、他者からの評価を気にしてしまう文化が生まれてしまいました。自分の書いた文章や写真が、他者からの評価に常に晒されてしまうことは、個人の表現の場としてはあまり健全ではないように思います。
ほかにも、Yahoo!ブログのようにサービス提供側の都合で自分の書いた文章が消えてしまうこともあります。
だからわたしは
そういったことに対するオルタナティブとして、自分の文章を自分の好きなように書ける場所がほしいと思ったのです。自分の文章を、自分の好きなように表現できる場所がほしかったのです。
見せたい自分を選ぶこと、それ自体に問題はなく、誰しもが行なっていることだと思います。しかし、その選び方まで、プラットフォームの都合に誘導されていたら?そう考えるとプラットフォーマーに依存することそれ自体がリスクなのではと、そう考えてしまいました。
そういったところから少しはなれた場所で、庭を手入れするように静かに育てていける。そんな場所にしたくてこのブログを立ち上げました。
色も文も、すべてをわたしが決められる、そんな場所。きっとそういった場所をいま求めているのではないか。そうわたしは思ったのです。